ブータンにも人から人へと言い伝えられた民話がたくさんあります。私は“ヘレヘレじいさん”という民話を初めて聞いたときはその話の言いたいことが今一つ理解できませんでした。
あるところに、ヘレヘレじいさんというおじいさんがいました。貧乏でしたが、村の人気者で、村人たちから慕われ、村人がよく面倒を見てくれるので、ヘレへレじいさんは幸せでした。 ヘレヘレじいさんが、畑を耕していると大きなトルコ石がでてきました。これを売ればお金持ちになれると町に売りに行くことにしました。しかし、途中で次々と旅人と出会い、最初は立派な馬と、次は老牛、羊、鶏に交換をしてしまうのです。ヘレヘレじいさんは満足でした。最後にはある男が「幸せの歌」を楽しそうに歌いながらやってくるのに出会いました。その歌をとても気に入ったヘレヘレじいさんは、その男に歌を教えてもらい、持っていた鶏をお礼として渡しました。「幸せの歌」を覚えられ、ヘレヘレじいさんはとても満足し、村に帰ることにしました。覚えたばかりの歌を口ずさみながら村へ向かいました。ところがもうすぐ村に着くという時に道端にあった大きな石につまずいて転んでしまいました。その拍子に覚えたばかりの歌を全部忘れてしまいました。でも村に戻ったヘレヘレじいさんを村の人々は笑顔で迎えてくれて、以前と同じように村人に慕われ、貧しくても幸せに暮らしました。
日本には実直だけど貧乏な若者が観音菩薩に手を合わすことによって、藁一本から有利な交換によって最後には長者になり幸せになりましたという“わらしべ長者”という民話があります。“わらしべ長者”は実直に生きていれば良いことがあるというわかりやすい話ですが、“ヘレヘレじいさん”の民話は全く逆の展開をします。でもブータン人の仏教に関する考え方、生き方を見ていると理解できる話です。ブータンでは寺院などでお祈りする時は輪廻転生を信じていることもあり生きているもの全てに対してお祈りをします。“自利利他”は自らの利益を得ることで、他人に利益を得させることを意味します。他人の幸福のために尽くすことが自分の喜びであり、みんなが幸福に暮らせることで、その中で自分も幸福に暮らしていけるということを教えてくれるお話しなのでしょう。