中国の東北部に朝鮮族の居住地域があるのをご存知でしょうか?
朝鮮族は朝鮮半島から中国大陸への移住者とその子孫で、現在200万人ほどの人口を擁する中国の少数民族です。移住は明末から清初(16世紀末期~17世紀初期)にかけて始まり、20世紀に入って日本が朝鮮半島および「満州」(中国東北部)を支配・統治する過程において劇的に増加しました。
今日では主に吉林省に居住し、特に延辺朝鮮族自治州に集住していますが、黒龍江省、遼寧省、内蒙古自治区にも分布しています。
この春、延辺朝鮮族自治州を初めて訪ねてみました。延辺朝鮮族自治州は西南部に長白山(朝鮮側では白頭山)がそびえ、この山から流れ出る図們江を境にして朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道と接し、東部はロシア連邦沿海地方、北部は黒龍江省と接しています。
州都の延吉市は朝鮮族が人口の過半を占め、韓国との合弁企業も多く、町はハングルの看板が溢れ、朝鮮語放送のテレビ局もあります。経済的には韓国への出稼ぎなどによる韓国関係の「収入」が多いようです。外国人が利用する高級ホテルも延吉に多くあります。市場では食用の犬肉が頭を並べて横たわっており、この地の各種産品のほか、韓国産品も多く並んでいました。
日本による「満州」統治以前から延辺の中心だったのが延吉の南隣の龍井市です。龍井には「間島日本領事館」が置かれていて、抗日運動家を弾圧する機関でもあったので、今日では記念館として整備・公開されています。この町は朝鮮民族に人気の詩人で、戦時日本で獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ)の生家や墓地があり、歴史展覧館も開設されています。
延辺の地域は古代には渤海国が栄えた地域でもあり、首都機能を有して宮殿や官庁が建造された「みやこ」である渤海五京のうち、中京顕徳府が和龍市に、東京竜原府が琿春市にあって、いずれもその宮殿比定地が発掘調査されています。いずれの遺跡も諸般の事情で公開は遅れていますが、整備は着々と進んでいました。今回は特別に見学する機会を得たのは幸いでした。
中朝国境に位置する図們市では、金日成・正日父子の肖像画が掲げられている北朝鮮国境管理所を間近に見られる図們大橋などを訪ねましたが、時間的なものか、「核開発」への制裁か、人や物の行き来は全く見られませんでした。そればかりか、「北朝鮮問題」への国際的関心が高まっているせいか、国境警備がいつになく厳重とのことで、トラブルを避けるため、ソ連参戦時に日本軍が破壊した「断橋」の見学は断念しました。
このように古代と近現代の史跡を中心に見学しましたが、韓国料理とはひと味違う延辺料理も味わい深く、中国の中の「異国情緒(中国で言えば少数民族風情)」を楽しんだ旅でした。