先月、お客様からお誘いいただき、奈良・飛鳥地方をめぐるスタディツアーに参加した。
このお客様はテーマに沿って世界中の遺跡をめぐり、研究を深めていらっしゃるグループで、今年3月にインドネシアを旅された際、添乗員としてエスコートさせていただくご縁をちょうだいした。
今回の飛鳥めぐりに参加したいちばんの目的は、この里に点在する7世紀創作の石造物を見てまわることだ。というのも、インドネシアの寺院で見た石造物と飛鳥のそれとがおどろくほど酷似していて、3月の旅行時に話題になったからだ。以前、石造遺物の文化は古代に黒潮にのってインカを発しインドネシアそして飛鳥へ伝播したという大胆な仮説を目にしていたこともあり、自分なりに検証してみたかったのだ。
3月の旅行で私たちは、中部ジャワのラウ山麓に建つ精霊信仰の寺院を訪ねていた。
15世紀に創建されたこの寺院は、当地に根付く精霊信仰を基礎としヒンドゥー教の影響を受けた造りになっている。
中米に栄えたマヤ文明のピラミッドを彷彿させる本殿には男根が祀られ、境内のいたるところに男根(リンガ)を自慢げに披露する像がちらばっている。なかなかエロティックで、でもどこかユーモラスな寺院なのだが、古代ヒンドゥー教ではリンガを五穀豊穣と子孫繁栄のシンボルとして崇めていた時代があったことと、土着の精霊信仰においてもリンガに手を合わせることはイコールご先祖様を祀ることでもあったため、当地で両宗教がミックスされる際、当然のように残ったのだろう。
一方、飛鳥の里では吉備姫王墓に4体の猿石(リンガを抱えた像)が安置されていた。
飛鳥には7世紀に高句麗、新羅、百済から多くの渡来人が住みつき、半島の宗教・文化・教育・風俗をもたらした。王墓の一隅を借りてちょこんと鎮座する猿石さんたちは、この渡来人がもたらした半島の男根信仰を受けてのものなのだろう。それが日本の農村部で古来信仰されてきた男根崇拝とすんなりなじんだ結果、この地に定着したのではないか。
実は、3月ジャワの遺跡を目の当たりにしたときに「マヤっぽいけれど、インドネシアをよく知る者がみたら、やっぱりこれはヒンドゥー寺院でしかない」という感覚が残っていた。
くだんの仮説へ反目するそんな布石もあり、猿石さんはけっして黒潮に乗って遠くからやってきたものではないことをこの飛鳥の地で確信した。
それぞれの地のリンガ崇拝は、それぞれの土地の風土と事情によって独自に根付いたものなのだろう。五穀豊穣と子孫繁栄の二大テーマは、農耕の民である極東~東南アジアの人々にとって、最大かつ永遠の関心事。
広いアジアのあちこちで打ち合わせなく同じような像が造られたとしてもなんの不思議もないことを、自分のなかで結論づけた。
ようやく汗をかかない快適な季節がやってきた。
彼岸花が黄金色に輝く棚田を鮮やかにふちどる飛鳥の里を歩きながら、たまにはこんな難しいことを考えながらの散歩も悪くないかなとアカデミックな気分にひたった一日だった。