今年の夏は40度越えもかつてないほど頻繁にあり、毎日、暑い暑いと言って過ぎていきました。しかし、この暑さにも勝って暑かったと記憶しているのがインド。私が行ったのは18年も前の2000年6月末から7月初旬にかけて。まだその頃には猛暑などという言葉はなく、ニューデリーに到着するやいなや、あまりの暑さに衝撃を受けました。型どおりタージマハールのあるアーグラを経て、カルカッタへ向かいました。(今はコルカタとよばれているそうでびっくりしましたが、なぜカルカッタではダメなのか。)実はそこに私がインドを訪れる主たる目的がありました。カルカッタにはマザーテレサの施設がいくつかあり、ボランティアは、年齢、性別、国籍関係なく誰でも参加できます。体験者の記事を読んで、絶対行くと決めました。当時はまだ詳しい情報を事前に得ることができず、地球の歩き方のみ頼って行ったのを記憶しています。カルカッタに到着し、宿を決め、荷を解き、さてどうしようか?とりあえず、ホステルのスタッフに尋ねると、宿泊者にボランティアをしているアルゼンチン人の中年男性、Shanti(サンティ=サンスクリット語で平和を意味する)を紹介してくれ、とんとんとんと話が進んで、翌朝スペインから来た二人のマリア(その一人はマリア・デル・マル(Maria de Mal(海のマリア)なんて美しい名前!)と一緒に施設に連れて行ってもらうことになりました。
翌朝プレム・ダーン(愛の贈り物)という施設へ行きました。そこでは路上生活者に食事のや水の提供をしたり、ボランティアの中には医者や看護士もいて、怪我や具合の悪い人々の手当てをしていました。ぱっと見た感じはまるで野戦病院のような印象で圧倒されていたのですが、そんな中、日本人のシスターに出会いました。彼女の名はSister Pure Love(シスター純愛)。彼女に水汲みや掃除などの雑務を教わりながら、色々とお話しを聞かせてもらいました。
2日目は、サンティ・ダーン(平和の贈り物)という施設へ。ここは孤児や貧困のため家庭で育てていけない赤ちゃんや子供たちが暮らしていました。大きな部屋一面にベッドが敷き詰められ、大きい赤ちゃん、中くらいの赤ちゃん、小さい赤ちゃんが寝かされていました。小さい赤ちゃんの中に、手の大きさよりもちょっと大きいくらいの本当に小さな赤ちゃんがいました。ハンカチみたいな布切れ一枚お尻に巻かれているだけ。この子は生き延びられるのか。なんともやるせない気持ちになりました。涙を堪えらないまま、床掃除を始めたのを覚えています。
最後の日は、ニルマル・ヒルダイ(清らかな心)-『死を待つ人の家』-へ。この施設はマザー・テレサの活動の原点となった施設で、貧しく、瀕死の状態で主に結核、肝炎、脳膜炎、マラリア、ハンディーキャップ等の患者さんが収容されています。実際には、多くのボランティアにはカリーガートと呼ばれています。元々ここはヒンドゥー教の聖地であり、本堂に女神カリーを祭神と祭祀をしてあり、路上やスラムで死ぬことを待つしかない人が安らかに死を迎えることのできる家を作りたいという想いがマザーの希望で、この場所をコルカタ市役所より提供してもらい1952年8月22日に開設、マザー・テレサは路上またはスラムで死にかけている人々収容して治療を始めたそうです。わたしはここで、ご飯を食べさせてあげたり、食後食器を洗ったり、身体を拭いてあげたりしたのを記憶しています。でも実際は、わたしもマリアもマリア・デ・マルもそこに居るだけで精一杯で、何とか役に立とうと思いつつも身体が動かないようなそんな感覚でした。
もう18年もあの夏から経っていて、久しぶりにあの時のことを思い返してみました。わたしには理解できない不条理がそこにあり、憤りを覚えたり、一喜一憂していましたが、そんな必要なく、そこに住む人々はそれを完全に受け入れ、強く生きていました。わたしが飲んでいるペットボトルの水を悪気もなく横取りする、その若い女性の笑顔。風呂敷包み一つと腰に巻いた布一枚が全財産の老人。道端で息をしているのか分からないが寝ている青年。スライドショーのように色々な画像が次々と浮かんできます。