先日 北京の大柵欄街(だいさくらんがい)へ行く機会があった。大柵欄街は北京を代表する遊興地だった。私が初めていった頃は、細い道で、食べ物屋や小さなお店が軒を連ねていたが、久しぶりに訪れた大柵欄街は昔の建物を再現した新しい街になっていた。
1978年の頃だとおもう。当時の中国旅行は、観光旅行ではなく、産業・教育・医療など あらゆる面から中国をみて理解し、日中友好を深めるというのが趣旨だった。だから 午前中は農村見学、午後は幼稚園を見学してあいた時間に少しだけ観光をして買い物をした。お昼は必ず宿泊ホテルにもどり、2時まで昼寝という日程がくまれていた。今では考えられない。
当時の中国は、ソ連との冷戦時代にあった。ソ連の覇権主義と戦うというようなスローガンがあちこちでみられた。ある日の午後 天安門の見学を終えた私たちにガイドは説明をした。これから私たち中国人民がソ連の覇権主義に備えて準備をしたものをお見せしますと地下へ続く階段へ案内した。階段の先には長い道がつづいていた。歩くこと30分途中には会議室や売店のようなものがあったと記憶している。また 階段を昇って上へでた。そこは大柵欄街だった。
何でも 北京の地下には網の目のように地下壕が掘られているとか。要人の住む中南海から国会議事堂にあたる人民大会堂へ。あるいは西にある軍隊の基地から天安門まで。天安門事件の時にはこの地下道を通り、一揆に学生たちのいるところを目指したと聞いたことがある。
すっかり 忘れていたが、大柵欄街に行っておもいだした。今 あの地下壕はどうなっているのだろう。