【162】敦煌はシルクロードだった

 何を当たり前のことをとお叱りを受けるかもしれない。ずいぶんと久しぶりなので、調べてみたら2006年以来なので実に12年ぶり。莫高窟は見学方法こそ変わっているが、相変わらず、「砂漠の大画廊」と称される壁画を見せてくれる。陽関は周辺にたくさんのブドウ畑が営まれ、乾燥と寒暖差を活かしたおいしいブドウを生産していた。玉門関は見学センターができてプチ展示もあった。

12年前の記録は無いがその前に訪れた17年前の鳴沙山のラクダは30元だった。今は100元。莫高窟の特別有料窟は60元だった。今、平山郁夫画伯に「敦煌の恋人」と言わしめた57窟は200元する。みごとに3.33333倍。

変わったところも変わらないものもそこにはあった。だが、改めて気づいたのは、あまりにも当然だが、さほど大きくもない敦煌市の外側は驚くほど延々と砂漠だったということだ。やはり当たり前だ。当たり前のことを忘れていたのかもしれない。市の中心にある敦煌賓館から30分も走ればゴビ灘(タン)だ。サラサラの砂に五色の石が光る。さらに走れば逃げていく蜃気楼が見える。富山の蜃気楼は「対岸の火事」という印象だが、敦煌の蜃気楼はほんとうに「水場だ!」と叫んでしまいそうなリアリティがある。

 昨年だったか、あまりに多くの国内観光客が押し寄せたのでラクダが「過労死」した。そんな悲劇がありながらも、砂漠を行くラクダの列ほど「シルクロード」のイメージに合致する光景はない。思わず喜多郎の「タタターンタ、ターンタ、タータターンタ」が聞こえてくる。
文化史的に言えば、シルクロードは北方のステップ路、タクラマカン砂漠のへりを渡るオアシス路、海のシルクロードである南海路の3つのルートの総称であるが、日本でのイメージはほぼオアシス路に収斂される。すなわち、延々と先の見えない砂漠を往くラクダの隊商である。

 「あ~、砂漠のオアシス都市にたどりついたな」というだけで、とてつもない旅情を得られる。敦煌はこれまでも、これからも、そんな町なのだろう。

鳴沙山

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